子育ての極意…自信なさげに
子どもたちは三人とも成人して子育てはとうに終了しています。
芸能人のご子息が問題を起こすと、もう30歳も過ぎているのに、親の責任を問われたり、とうに終わった子育てにいちゃもんをつけられたりしています。
仕事にかまけて愛情不足の所以であると言われます。
果たして当人は、子育て現役時代に、子どもに愛情をかけていないという自覚を持っていたのでしょうか…
有名人でなくても、図らずも子どもが犯罪やそれに至らずとも問題行動を起こしたときに、愛情が足りなかったのだ、とは後から思うことであって、問題か起きていない時から、愛情が足りていないとは思わないでしょう。
同じ理屈で、子どもが特に問題もなく成長した親も、子どもを育てている時に、愛情たっぷりであるからこの子は良く育つに違いないと思わないでしょう…
いや、思っているかもしれませんが
何か事情がなければ、大抵の親は愛し方が異なれど我が子を愛しているし、自分なりに可愛がって育てていると思います。
可愛くなければ面倒な子育てをやる気になりませんしね…
愛情は過不足より質の方に比重がありそうですか、それならどんな愛情の質が良いのかは、百の親子があれば百通りなのだろうと思います。
愛情が足りているとか足りていないというのは、当事者には判断がつき難く、実態のないふわふわしたもののようにも思います。
それにもかかわらず、肥料をたっぷりやったからいい花が咲いた、みたいにわりと単純に過不足の是非が語られるなあと思います。
私のように、すでに子育てが終了した者が、愛情たっぷりに育てると立派な大人になりますよ、と語ってしまうのは結果論に過ぎないと思います。
子育てを終えた経験者として、いえるのは、
いいと思うことをやりました。
間違えたら仕切り直して、その繰り返しです。
くらいでしょうか。
これでは、自信なさ過ぎですかねえ…
田植えの済んだ水田に映る山
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